碧瀾渡

碧瀾渡

奉由倹が整備した渡船場。ただし奉姓の者は無料。

碧瀾渡(へきらんと)は現在の朝鮮民主主義人民共和国にあり、開京の西方にかつて存在した渡し場または河港である。今はその機能はもちろんなく、見る影もない。

37°55'26.8"N 126°23'06.1"E

※地図の出典は『日韓でいっしょに読みたい韓国史』。

『同譜』によれば、碧瀾渡はすなわち礼成江(れいせいこう)の下流にあり、江華湾に通じて京畿(けいき)と黄海(こうかい)の境に位置している。その幅はおよそ十里(約4km)で海に近い。潮の満ち引きの際には、陸と海がせめぎ合い、波が碧(みどり)に湧き立つことから「碧瀾渡」と名付けられた。両岸の船着き場は水の衝撃によって険しくでこぼこしており、ぬかるんでいて乗船には不便であった。

判中枢公(奉由倹のこと)が都に在勤していて白川に往来する際には、必ずこの渡し場を通ることとなり、昇降に苦労していた。そこで石を伐り出して両岸に階段状の護岸を築き、ぬかるみを歩くことなく安全に昇降できるようにした。両岸には休憩のための小屋を人々が協力して設置した。

以後、両岸には店舗が立ち並び、我が奉氏が税を徴収することとなり、奉姓を持つ者がこの渡し場を渡る際には船賃が免除となった。京畿と黄海の監司がこれを制度として成立させ、永く奉氏の管轄とすることになった。

礼成江:朝鮮民主主義人民共和国の黄海北道を流れる河川。
監司:地方行政機関の長官。

碧瀾渡といえば、高麗中期には中国の宋や日本、遠くはアラビアまで活発な交易を行った国際港であった。潮の流れは早いが水深があったので、交易船舶の航行には都合が良かったようである。しかし、積荷を揚げ降ろしする際の桟橋などはあったはずであるが、奉由倹は何故に改めて護岸を築く必要があったのであろうか。恐らく桟橋などは積荷の揚げ降ろし専用で、渡し船を発着させる渡し場とは別に建設されていたのであろう。積荷の方が優先されて人往来用の渡し場は顧みずということか。

ともかく、奉由倹によって碧瀾渡を安全に往来できたことは良かったが、その後があまり感心しない。せっかく付近の住民が休憩所を作り、飲食物などを提供していたであろう店舗を出して、旅の者の便宜に供していたにもかかわらず、これらの税を取り、奉門には無料で往来できるように管理して制度化したことである。

このことから、渡し場の整備は往来する人々のために行ったのではなく、自分もしくは奉家のためだけに利したと臣は見ている。上手く人々の不便を解消して利益を得たと言えば聞こえは良いが、悪く言えばとても小狡い儲け方である。民衆には何と噂されていたのやら。

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