報恩塔

報恩塔

石函が本当に入っていれば。

報恩塔は韓国の仁川(インチョン)広域市の江華島河陰山に位置し、これも奉哥池にほど近い。1960年に、崩れて周辺に散らばっていた部材を組み立てたが、破損したり失くなっているものも多く、現在の5層石塔の姿となった。韓国の国家遺産庁の説明によれば、全体的に重い感じを与え、各部分に施す装飾を省略して、形式的に表現された部分が多い塔である。新羅時代の石塔様式を受け継いで変遷した高麗時代の石塔の典型的な特徴を示し、高麗後期に作られたものと推測されるとのことである。江華長井里五層石塔(こうかちょうせいりごそうせきとう)として、韓国の国家文化財宝物第10号に指定されている。

강화 장정리 오층석탑 · 산193 Jangjeong-ri, Hajeom-myeon, Ganghwa-gun, Incheon, 韓国
★★★★☆ · 史跡

伝説では、奉天祐が始祖発祥の恩に報い、冥福を祈願するために奉恩寺を創建したが、現在は廃墟となってしまった。その境内には別名、奉天塔とも呼ばれる報恩塔も建立されたとあり、また別の伝承では、奉天祐が恩義のある老婆のために奉恩寺を建てて仏に供物を捧げる場所として使われ、寺の正面には報恩塔と呼ばれる石塔を建てた。言い伝えによると始祖の石函が報恩塔の中に納められていたが、寺は既に廃れてしまい、盗賊が古物を欲さんと塔を壊そうとしたが完全に壊すことができず、最上層がなくなり、三層だけが残ったと伝えている。

韓国の学界では、この江華奉恩寺の建立時期をモンゴルの高麗侵入で江華島に遷都した13世紀中頃と考えている。したがって、14世紀の人物である奉天祐が創建したというよりは、高麗王朝の開京遷都後、廃墟になった奉恩寺を再建した可能性が高いと見ているそうだ。奉恩寺を中興し、奉氏始祖の恩徳を称える場所として造成したものと判断される。

ここでも奉天祐が始祖のために奉恩寺を建てた、いや老婆のために建てた、実は再建だったなど、一体どちらなのだと思うが、この報恩塔の中に始祖奉佑が赤子の時に入っていた石函が納められていたというのは、まあ箔付けであろう。当時の政界は他家との競争でもあったので、由緒正しい事物や歴史的正統性は必要なのである。しかし塔が壊されず、また本当に石函が現存していたらと思うと、なかなか浪漫がある逸話ではあるまいか。これも奉天祐の考えた戦略であろうか、石函をぜひとも見たかったものである。

タイトルとURLをコピーしました