奉天台

奉天台

古代出雲大社のような長い階段があったかも。

奉天台は石像閣や報恩等と同じく仁川(インチョン)広域市(江華島)にある、奉天山頂上に位置する構造物である。高さ5.5m・底辺の長さ7.2mで、石で積み上げて上に行くほど狭くなる正方形の台形である。

Bongcheondae · 산63 Sinbong-ri, Hajeom-myeon, Ganghwa-gun, Incheon, 韓国
★★★☆☆ · 史跡

伝承では7世の奉天祐が始祖(または奉哥池の老婆)の恩に報いるために築造して祭祀を行った場所である。数多くの羊豚牛馬を鉄で形作り、それ等を台下に隠して設置したため、木こりや牧童が神の祟りを恐れて近寄れなかったらしい。昔は台の上に楼閣があったらしいが、今は荒廃して瓦礫が積もっているだけである。李氏朝鮮中期には烽火台として利用されたことがある。現在は仁川広域市記念物第18号に指定されている。

恐らくこの奉天台も石像閣や報恩塔と同様に、元々はモンゴルによる高麗侵攻の影響で、江華島に一時的に遷都した際に、高宗が国家安泰と民草の平安を願って祭天の儀式を行った場所であったと考えられる。つまり当初は高麗王のための施設であり、再び首都が開京に戻って約100年近く経って既に荒廃していたが、奉天祐が建造といえるくらい大改修を行って先祖などの供養のための祭壇として再利用したのであろう。石像閣や報恩塔といい、この奉天台も含めて既に使われなくなった過去の遺物を余すことなく再利用して自分の氏族のものにしているところは、とても頭の良い方法だと感心する。ただどうしても石造物ばかりなのは、やはり木造物では朽ちるのが早く、石は長きにわたって風雪に耐えることが可能だからだろうが。

伝説にある鉄製の動物であるが、これを奉納すること自体は当時としては普通であったらしい。本来は農民などが豊作や魔除けを祈願するためらしいが、多様な鉄製家畜を嫌がらせのように大量にばら撒いて埋めるとは、それほど余人に近づいて欲しくないのだろう。魔除けでなく人除けが目的の奉天祐は、この奉天台を一族の最も神聖なる場所として重要視していたのかも知れない。

また、昔は台上に楼閣があったといわれているが、そこまでどうやって登ったのであろうか。写真で見る限り結構な高さと角度になっていて、普通の階段や梯子だと怖くて足がすくみそうだ。もしかしたら、古代の出雲大社のように長くて緩やかな階段を設置したのであろうか。そして李氏朝鮮中期には狼煙台として利用されたとあるが、その初期において残念ながら家勢が衰微したことに恐らく関係している。詳細はまた別項にて述べようと思う。本当にこうした歴史上の細かな謎や浪漫などを考えることは楽しいものだ。自分の先祖のことなら尚更である。




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