8世。李王家接近の足掛かりを作りし者。
奉文(ほうぶん)は7世奉天祐の次男である。字は明遠(めいえん)で、栢岡(はくこう)と号した。位階は通憲大夫(つうけんたいふ)まで昇り、版図判書(はんとはんしょ)を歴任した。
字:成人した男性が名の他に持つ儒教的な別名。学問・徳行を表現する事が多い。
号:主に文人や学者が用いる自称。風雅な名前で自然や哲理にちなんだものが多い。
通憲大夫:正二品の別名。
また奉文は、朝鮮王朝の太祖・李成桂(りせいけい)の異母弟である義安大君・李和の次男、李淑に娘を嫁がせ、奉氏一門が王室をはじめとする名門と婚姻関係を築く役割を果たした。
こうした王族との姻戚関係は、家門の社会的地位や政治的影響力を高める重要な手段であった。いつ頃に娘を嫁がせたかは不明であるが、朝鮮王朝成立後も奉氏の地位が安泰であった事を考えると、この奉文の残した功績は大である。いきなり国王直系に嫁がせるにはかなりの障害があるであろうし、他家からの反発も無視出来ないであろう。王族傍系ならば程よい距離感であり、ゆくゆくは直系に届くのもそう難しくないという判断は賢明であった。
李成桂:李氏朝鮮の始祖。初代朝鮮王(在位192年〜1398年)。
李和:義安大君。王族の親族に功績などがあると、〇〇君という称号が与えられる事が一般的。
李淑:完川君。
墓は京畿道長湍郡(けいきどうちょうたんぐん)の五冠山(ごかんざん)にあるという記録があるが、南北分断のために現在は所在不明となっている。子孫たちは京畿道安城市元谷面盤堤里の墓域に祭壇を設け、毎年旧暦10月1日に祭祀を行っている。また、長城にある萬谷祠(ばんこくし)にも祀られており、毎年旧暦3月20日に功績と徳を称える祭礼が行われている。
